最近のベースの練習で向き合っているリズムのオカルトを解き明かしたい

最近、ベースの練習はフィジカル(指が正確に動く)の練習もだけど、それ以上にリズムに向き合う練習をしている。

リズムに関しては、「XXなイメージでリズムを感じるとノリが変わる」みたいな禅問答めいたことを言うひとが非常に多く、そこに対してエンジニアである自分はかねてより不満があった。というのも、音楽を受け取る受け手にとってリズムを成立させるのは奏者のメンタルではなく、発声のタイミングと音高、音量の変化であるはずだからだ。

当然、奏者のメンタルやイメージは奏者の体の動きに影響を与える。なので、「XXなイメージでリズムを感じるとノリが変わる」は一定の正しさがあるだろう。しかし、そこには「イメージが変わる => 発生タイミングや音高、音量が変わる => ノリが変わる」という機序があるはずで、「発声タイミングや音高、音量」をブラックボックスのままにしておくのはとても気持ち悪い。語られるべきは「どのような発声タイミング、音高、音量になるとどのようにノリが変わるか」「そのような発声タイミングや音高、音量を出すためにはどのようなイメージを持つと演奏しやすいか」であるはずで、極端にいえば「そのノリの変化を打ち込みで再現できないのであればそれはオカルトである」と言ってしまってもいいと私は思っている。

で、だ。

よく言われる都市伝説に、「日本人のノリは1,3拍に重心があり、黒人音楽のノリには2,4拍に重心がある」という都市伝説がある。しかし、これについて私の問題意識で読み解いてみると、「重心」ってなんだ? 音高、音量、発声タイミングの言葉で「重心」を説明できなかったらそれはオカルトでは? という話になるわけだ。ベースの練習をする際に、オカルトに飲み込まれてはいけない。そう思い、「重心とは単にアクセントのこと(つまり、2,4拍の音量がでかいということ)である」という仮説を立ててみた。

さらに、James Brownのファンクの秘密として「the ONE」という概念がよく挙げられる。これもよく「一拍目に重心(出た!重心!)を置く」というように言われている(要出典)が、これ、「バックビートに重心を置く」と矛盾してません? という話がある。ここについては、「日本人ノリが1,3拍にアクセントがあるのに対して、黒人音楽ノリは2,4拍にアクセントがある」というのを補助線にすると、「普通は2,4拍だけがアクセントなのだが、1拍目 にも アクセントを置く」ということなのでは? という仮説を立ててみた。

で、これらを検証してみるために、ベースとドラム、完全打ち込み、まったく同じタイミング、音量だけを変え、それぞれ「1,3拍にアクセントがある」「2,4拍にアクセントがある」「1,2,4にアクセントがある(2より4のほうが強い)」という三つのパターンを作ってみた。

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どうだろうか。かなり「ノリ」が違うと感じられるのではないか。「重心」とか「イメージ」という言葉に包まれ、機序がブラックボックスとして語られがちな「ノリの違い」、実はたんに「どこの音量を上げるか」という話だったのでは? という仮説には一定の説得力があると私は感じた。

ので、「単に1,3にアクセント」「単に2,4にアクセント」「単に1,2,4にアクセント」で実際にベースを弾いてみたのがこちらだ。

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なんだか打ち込みのときよりもノリ変化が大きい気がする……。おそらく音価や、ドラムに対して前にずれるのか後ろにズレるのかあたりが影響しているのではないかと思うのだけれど、これの機序を解き明かさないことには再現性が望めないので、この機序についてはもう少し研究を重ねてみようと思う。

まとめ

「1,3に重心があるイメージで」とか「2,4に重心があるイメージで」みたいな話は、midi打ち込みを使った実験の結果、単にアクセントをどこに置くのかというふうに読み替えたほうが良さそうだととりあえず結論付けた。the ONEとバックビートの関係についても、「1,2,4にアクセント」がthe ONEの正体だととりあえず結論付けた。音価や前ズレうしろズレがどのようなノリの変化をもたらすのかについてはさらなる探究をしてみようと思う。今後もリズムのオカルトを解き明かしていきたい。