音楽と生成技術 2024春

生成技術の発展が本当に日進月歩ですごい。音楽に関しても、もう「なになに風の音楽を作って」というものについてはあと一歩で実用レベルだな、と思わせるところまで来ている。以前もこのブログで以下のように書いた。

「こんなイメージで、という指示」をインプットにして、アレンジ済みトラックを出力するような仕事、あるいは「こういう用途で使います」「こういうイメージで」をインプットに、BGMを出力するような仕事は、「よほどのこだわりがある場合」を除いて、生成AIによって早晩奪われていくだろうと思っている。

生成AIによって、演奏の仕事が置き換えられていく可能性は低いと思う。が…… - 猫型の蓄音機は 1 分間に 45 回にゃあと鳴く

なんならLogic11の新しい機能のSessionPlayerなんかはもう「アレンジ済みの演奏を出力する」「ベーシストとして楽曲制作のお手伝いをする」みたいな私の仕事を一部置き換えてしまったと言っていいのではないかと思う。

この流れは多分止まらなくて、思ったよりも早く「劇伴」とかBGMの仕事の総量は減っていきそうだ(全てが置き換えられる、ということもまた起こらないのだろうと思うが)。イラストの世界ではすでに、「文章を売っている」「音声を売っている」みたいなタイプの個人制作の作品におけるイメージ画像(イメージ画像、という言葉を使うときいつも、「イメージイメージ……」と思って違和感を得るんだけど他にいい言い換えをしらない)や挿絵などが、生成技術によって生み出されたもので置き換えられつつあるが、それと同じことが多分あと一年かそこらで音楽でも起こると思う。

さて、ぼくはある意味では生成技術によって「金銭を得る手段」をひとつ潰された立場にあるわけだけれど、一方でこれらの生成技術に対して現在あまり嫌悪感を持っていない。それどころか、ちょっとワクワクすらしている。たぶんそれは、ぼくが音楽以外に生業を持っているからというのはあって、自分はあくまで「作りたいから音楽を作っている」という立場だからなのだと思う。音楽の仕事が奪われた(あるいは奪われる)とはいえ、それで生活に困るかといえばそうではない立場、言い換えれば、簡単に「趣味のひと」に戻れるという立場だ。

「趣味のひと」の立場から言えば、「音楽を作るための技術を磨くこと」そのものが楽しいので、別に生成技術がいかに「努力なし」でクオリティの高い成果物を出そうがあまり自分の楽しみとは関係ない(そもそも生成技術を使えば努力なしで良い出力が得られる、というのもぼくは疑問視しているが、それはまた別の話)。というか、「結果」よりも「過程」を楽しんでいるから趣味なわけで(結果を出さなければいけないならばそれはもうお仕事ですよ)、「結果だけ欲しいならばすっ飛ばしてもいいような過程を、自分の楽しみのためにわざわざやる」という酔狂なことをしている限り、生成技術によって自分の楽しみが奪われることはない。これはDTMの打ち込みによって「演奏しなくていい機会」が増えたのに「わざわざ演奏したがる(しかも素人なので打ち込みよりもなんなら下手)」という酔狂なひとがいまだにたくさんいることと相似な気がするし、あるいは買った方が安いしうまいし手間もかからないのに、わざわざ自分でお菓子を作る人がたくさんいるのとも相似かもしれない。趣味なんだからそれでいいんだよな。

雑文なのでなにか強く主張したいことがあるというわけではなくて、「生成技術がおもったよりも早くまともな音楽を作っていっているなあ」という感想と「それに伴って自分のスキルが思ったよりも早く相対的に金になりにくくなるな〜」という感想と、「とは言え趣味人としてはノーダメージだなあ」という感想を書いておきたかったので書いた。そしてぼくは今日も、趣味人として自分のバンドのレコーディングに赴くのであった。