生成AIによって、演奏の仕事が置き換えられていく可能性は低いと思う。が……

生成AIと音楽について。

掲題のとおり、わたしは生成AIが「演奏」という仕事を置き換えていく可能性は低いと思っている。というか、「もうとっくに別のものによって置き換えられている」というほうが正確かもしれない。というのも、すでに我々はDTM、コンピューターによる演奏という手段をとっくに手にしていて、「そのひとならではの演奏!」だとか「人間の身体性に基づいた演奏じゃないと困る音」、つまり「(特定の、あるいは身体を持った)人間がやっているということ自体に価値があるもの」以外の演奏の仕事は、とっくの昔に機械に奪われている。あれだけ生演奏に拘っていた「NHKのど自慢」でさえ、生演奏からカラオケ演奏に切り替わっているのだ。「その人じゃなくてもいい演奏」なんてもうとっくに奪われていて、そこで生き残ってるひとたちは「その人が演奏すること」自体に価値があるので生成AIに置き換えられる心配は少ないと思う。

一方で、わたしが請け負っているような、「弾き語りオリジナルソング」と「こんなイメージで、という指示」をインプットにして、アレンジ済みトラックを出力するような仕事、あるいは「こういう用途で使います」「こういうイメージで」をインプットに、BGMを出力するような仕事は、「よほどのこだわりがある場合」を除いて、生成AIによって早晩奪われていくだろうと思っている。最近、web広告などのクリエイティブ(この「クリエイティブ」ってのも謎の用語ですよね)が生成AIによって作られている、という事例が徐々に生まれ始めているが、それと同じような形で、おそらくまずはBGMなどからその仕事が奪われていくだろう。そこまでいったら、「オリジナルソングのアレンジをする手段を持っていないけど、どういうふうにしたいというイメージはあるから、そのスキルを持っているアレンジャーに依頼している」という感じの仕事が奪われるまではあと一息だ。生き残るのは「そのひとのアレンジだからこそ価値がある」という一握りのトッププレイヤーだけになっていくのではないだろうか。

わたしの請け負っているような仕事がどんどん奪われていくことに対しては、自分勝手な思いとしては「ふざけんなよまじで」「令和のラッダイト運動まったなし!!!」みたいな気持ちがないと言えば嘘になる。まあそれは感情の話なので……。とはいえ、「頭の中ではいいものが鳴っているのに、それを実現する手段がない!」という人が、科学技術によってその手段を手にして、表現が民主化されていき、いままでだったら世に出ることがなかったかもしれない新しい表現が増えていくことはいいことなのではないか、という気もする。

まあ、どちらにせよ、自分が音楽を金に変える手段のうちのひとつは確実に奪われていくだろう。それは止められない。ならば、現状を認識した上で、身の振り方を考えるしかない。今までも「本業:自称ミュージシャン、副業:フルタイムの会社員」としてやってきたが、本業から「自称」が外れ、名実ともに本業となるのはいつのことになるだろうか。一生このまま副業で生きていくしかないのかもしれない。ふーんだ。