自責か他責かというフレームはいっそ有害なのではという話

よく「ビジネス〜〜」みたいな話の中で「他責思考をやめて自責思考になるべし」みたいな話がなされると思う。

これって「あいつのせいでXXできない」っていう考え方をやめえや、って話だと思うんだけど、その対義語?として「自責思考」ということが言われているんだと思う。ただ、ぼくはこの「他責が自責か」という考え方自体は悪い副作用が大きいんじゃないかなあとは思うんですよね。他責思考に陥ってしまっている状況ってのは「自分ひとりで物事が動かせない」という状況があるからこそそういう思考に陥ると思っていて、そのときに「自分でできることを」みたいなこと言われてもどうしようもないことが多いどころか、結局「あいつらVS自分たち」という構図を強化してしまうまであるのではないか、と思う。

むしろ必要なのはどうやって「他責VS自責」という構図を「問題VSわたしたち」にリフレームするかということだと思っていて、まず問題に向き合う、あるいは適切な問いを立てる。そこに頭をつかって、問いが立ったあとに「その問いをわれわれで解決するためにはだれに何を担ってもらう必要があって自分はどこを担うべきなんだっけ」って話ができるようになるし、そうすることで初めて「自分一人では動かせないくらいにでかい物事」を動かせるようになるんではないかな、と思うんですよね。で、そういうリフレームこそが「他責ではなく自責で動け」とか言いたい「上の人」の役割のひとつなんじゃねーかな、と「徹底した自責思考を〜〜」とか聞くたびに思う、という話でした。