builderscon2019振り返り(not技術編)

builderscon2019に参加してきました。以下技術的ではない部分の振り返りです。技術的な部分の振り返りはまたあとで書きます。


今年はすごく自分のメンタルが乱高下する、とてもヘヴィなbuildersconとなった。というのも、まさに前回の記事に書いたことが起こったのがbuildersconの前夜祭だったからだ。前回の記事は自分もまだ混乱のさなかにあるときに書いたものなので、だいぶ落ち着いた今、再度そのあたりの話をするところからはじめたい。

前回の記事にも書いたけれど、「マッチングアプリのいいね自動化」という内容そのものが悪である、という立場にぼくは立たない。マッチングアプリというのは、そもそも男女ともに「性的に選別」しあうものである。そうである以上、「マッチングアプリ上での性的な選別の自動化」は問題ないはずだ、という立場ではある。「どんな文脈であれ人間を性的に選別するような発表はそもそも悪である」という立場もあるとは思うけど、それはそのまま「マッチングアプリは悪である」という立場になるとぼくは思っているし、何度も言うけれど、ぼくはそういう立場は今のところ取らない(もちろん、そういう立場に立つひともいると思うし、それは一つの意見として検討に値するものだと思う)。

ところで、「発表が悪くないんならなにが問題なのかわからない」という反応がいくつかあったのだけれど、今となって考えたらそりゃあの書き方で何が問題なのかわからないのは当然だよな、となったので、そのあたりの話をしたいと思う。まず、ぼくは「すでに参加者に多様性がある状態であるときにはOKなものも、著しく多様性が損なわれている状況ではさらに多様性を損なうことになりうる」という前提を持っている。今回はまさにそういう例だと思っている。

逆の立場になって、女性が大半であるようなコミュニティで、男性を容姿によって選別する技術の発表がされていて、それに笑っている女性がたくさんいるようなところに自分が参加したと想像したら、おそらくぼくは「ああ、このカンファレンスは男性である自分は対象外なんだな」と感じると思う。このように感じること自体が間違えているだろうか? 「そのとおり、そのように感じることが間違いだ」と言うひともおそらくいるだろう。ただ、「男性が参加者のほとんどで、しかも普段からプロフェッショナルとしてではなく女性として扱われがちで、なおかつ女性を容姿によって選別する技術が発表されて、たくさんの男性が笑っている」という状況を見てある女性が「ああ、このカンファレンスは女性である自分は対象外なんだな」と感じることを、ぼくは間違えたことだとは思わないし、思えない(もちろん、そう感じない女性だってたくさんいるだろうとは思うし、これを「悪い忖度」という人もいるだろう。そこはぼくとは異なる意見として、もうすこし検討したい部分ではある)。

べつの方向から見てみると、「マッチングアプリという文脈においては女性を選別することはなんら問題はない」とぼくは思っているが、その文脈を「プロフェッショナルとしてではなく女性として扱われがちでしんどい思いをしているひとたちがすでに何度も報告されており、なおかつCoCで"すべての参加者がこのイベント・コミュニティから歓迎され、楽しんでいただくくことをめざして"いると明言されている場」に持ち込むことは、不適切だと思う。おそらくここは違う意見を持つひともいて、「いや、マッチングアプリの文脈と、カンファレンスの文脈を分けられないのはむしろ受け手の問題でしょ」という話をすることも可能だとは思うし、それはひとつの正義だと思う。ただ、なんども言うようだけれど、ぼく自身はその立場には立たない。これは「どちらが絶対的に正しい」と主張しているわけではなく、「ぼくはこちらの立場だ」という話だ。

と、ここまでが前回の記事について、言葉を変えてもう一度書いた内容。ここからさきは当日の振り返りです。


ぼくは前夜祭の翌日、つまりbuildescon初日に登壇を控えていたのだけれど、当日の朝、「このままでは登壇できない」と考えていた。というのも、上述のような点について、運営側がどう考えているか、わからなかったからだ。それどころか、じつは前夜祭でのトークは公募ではなく、運営がオファー、ブッキングしたトークだということで、「むしろ運営としては上述のような点は"好ましいもの"、"推奨されるべきもの"ですらあるのだな」と感じていたからだ。ぼくは自分が絶対正義の側に立っているとは思っていないし、上述の通り「これで排除されたと思うのはむしろ排除されたと思う側の問題」という考え方にも一定の理があるとは思っている。しかし、もしも運営が、CoCですべての参加者が歓迎されることを謳っているこのカンファレンスにおいて (あらゆるカンファレンスで件のトークが排除されるべきだとは思わないから、このような限定をしている)件のトークが歓迎され、推奨されると思っているのであれば、そのようなカンファレンスには自分は賛同できない(それに賛同するひとがいても当然いいと思う)。そして、自分が賛同できない立場を取るカンファレンスに登壇するということは、どうしても自分にはできない、となったわけだ。

とうぜん、いろいろと悩んだ。そもそもぼくはbuildersconにはものすごい思い入れを持っていて、毎回登壇させてもらっているし、自分のエンジニアとしてのキャリアはbuildersconの周りに存在するコミュニティにかなり助けられているのだ。そういうカンファレンスに(自分のわがままで登壇しないと決めるとはいえ)登壇しないという選択をするのは、すごくすごく辛いことだ。それに、buildersconは登壇者が決まったあとにチケットを購入できる(これってじつは運営側からするとけっこう大変なんですよ)ので、自分の発表を楽しみにしてチケットを購入してくださった方だっているかもしれない。個人としての登壇だけど、会社にもサポートしてもらっていて、ある意味会社の看板も背負っている。そういう中で、自分のわがままで登壇をキャンセルする、ということが許されるのか。それはよくないことなのではないか。けれど、どうしても、このままでは登壇できる気持ちにならない。

そういう中で、会社に「最悪の場合登壇しない、という判断をしたい」と相談した上で、builderscon主催に「登壇について相談したい」という話をしに行った。ここもすごく悩んだ。さっきも書いたけど、そもそもぼくはbuildersconのことがめちゃめちゃ好きなのだ。それに、以前自分もカンファレンススタッフをやったことがあるから、主催やコアスタッフが当日どれだけ忙しい修羅場を迎えているか、知っている。そういう中で、自分のわがままをどれだけぶつけていいのか。けれど、信頼しているコアスタッフや主催に半ば甘えるような形で、「自分はこのように感じていて、そうである以上このままでは登壇できない、本当なら前向きな気持ちできちんと登壇できたほうがうれしいに決まっているし、どうしたらいいか自分でも混乱している」と主催の方に対して相談させてもらった。その結果、主催の方は嫌な顔ひとつせず、「なぜ今このようになっていて、自分たちが今どのような対応を考えているのか」をすごく誠実に伝えてくれた。その上で「今できるのはここまでで、そのうえでしんぺいさんが"やはり登壇できない"と思うのであれば、その判断は尊重する」と言ってくれた。内容を詳しく書くことはできないのだけれど、今これを書いている途中でも涙が出そうになるくらいだ。改めてお礼を申し上げたい。会社も、「しんぺいさんの判断を尊重する」「なにかあったら全力でちゃんと守るから」と言ってくださって、「この会社を選んで本当によかった」と思った。

その後、運営からは会期中にも関わらず公式な声明が発表され、ぼくは安心して「このカンファレンスの立場には賛同できるから自分も登壇できる」と思うことができた。何度も言うけれど、「これが正義だ」というつもりはない。様々な正義があると思うけれど、ぼくは こういう立場を取っていて、カンファレンス側もそういう立場を取っている、ということを確認できた、ということだ。当然、ぼくの相談あったから声明が出されたわけではないと思うし、おそらくぼくの相談がなかったとしてもなにかしらのアクションは取ってくださっただろうけれど、ぼくの一方的な立場だけから見ると、相談にしっかり乗っていただいたからこそ安心して登壇する気持ちを固めることができたという出来事だった。

ただ、この相談をしたことについては、いまでもそれでよかったのかどうか判断がつきかねている。ぼくにとっては本当にありがたい対応を各位がしてくださって、そのおかげでぼくは登壇する意思を固めることができたし、そのあとの懇親会なども楽しく参加することができた。しかし、実際に対応してくださった各位に対してはともすると「かけなくていいはずのコスト」をかけさせてしまっただろうし、まるで自分が「不寛容なSJW」のように感じられたり(というか、ぼくのことを「自由なテック・コミュニティの敵」だと思っているひとは実際にたくさんいるだろうと思う……そう思うとほんとうにつらい)している。仮に「カンファレンスの立場に賛同できないので登壇はキャンセルしました」としていれば、全てを自分の責任においてかぶる形になっていただろう。それはあくまで「ぼくの考えをぼくの責任において発信している」ということだろうし。そのほうが誠実であったかもしれないという気持ちも持っている。もちろんそうしたらぼくはいろんな角度から批判にさらされることになっただろう(チケットを購入したひとに対する責任はどうなるんだ、とかね)し、そういう批判を自分が受けたくないから、自分の登壇をある種「人質」に取って運営にに対して責任を負わせる形にしただけだろう、と言われたら、自信を持って「違う」と言うことはできない。そう考えるとすごく落ち込む。

と、今まで書いてきたようなことを考えながらbuilderscon本編2日間を過ごしていて、だけどやっぱりカンファレンス自体はすごく技術的に興奮する発表が多くて、懇親会などでもとても実りのある議論ができたりして、けどほんとうならぼくはそんな楽しみ方をする資格はないのかもしれなくて、というようなことを考えて、ほんとうに感情のキャパシティがもういっぱいいっぱいで、そういう点で、振り返ると今年はものすごくしんどいbuildersconだった。もちろん、この「しんどい」というのは誰かを責めるための発言ではなくて、単純に振り返りとして。