エンジニア・コミュニティにはオープンであってほしい

エンジニアの集まるカンファレンス(参加者の多くはソフトウェア・エンジニアだが、ものづくりするひとすべてを対象としたカンファレンスなので、暫定的に「エンジニア」という括りで話します)において、マッチングアプリ上で女性の外見を判別して自動でいいねを押すという発表がなされている現場に居合わせた。このエントリの目的は特定の発表自体の是非を判断することではないので、リンクしない。「リンクしなければそもそもその発表の是非の判断ができないじゃないか」という向きもあると思うけれど、少し調べればわかることだし、その発表自体の是非を議論したいなら、調べるくらいのコストをかけて別のところでやってくれたら嬉しいと思っている。

さて。少なくとも今回参加しているカンファレンスのジェンダーバランスは、めちゃめちゃ偏っている。おそらく、多くの技術系のカンファレンスにおいても、そうなのではないかと思う。これ自体がいびつであるのか、それともそれは「生得的な性差によるもので自然なこと」なのかということについては、ここでは踏み込まない。ただ、事実として、現状のジェンダーバランスはめちゃめちゃ偏っている。そういう中で、女性エンジニアは、エンジニアとして参加したはずのカンファレンスで人事のひとだと思われたり、あるいは自分の専門分野に対してなぜか「教えてあげるね」という態度で話しかけられたりするという報告がいままでもなされている。エンジニアとして参加したはずのカンファレンスで、エンジニアとしてではなく、「女性」として扱われるという体験をする女性は、どうやら多いらしい(ここで「どうやら」ということばを使っているのは、ぼく自身が男性であり、すべて伝聞情報でしかないからだ。だけど、周りを見ていて「そういうこともあるだろうな」と思ってしまうのも、また事実だ)。そういう経験をしている女性がいる、という前提の中で、「女性の外見を判別して自動でいいねを押す」という発表がなされて、それが受け入れられている、というのは、どういうメッセージになるのだろうか。ぼくはやっぱりそれって「やっぱりここでは女性はエンジニアとしてではなく"女性"としてしか扱われないものなんだな」と思われてもしょうがないのではないか、と思うのだ(もちろん、そう考えないひともいるだろう)。

勘違いしてほしくないのは、ぼくは「女性の外見を判別して自動でいいねを押す」という発表が「悪いものだ」と言っているわけではない。というか、ぼく自身けっこう女性の外見の好みにすごく偏りがあるし、好み抜きにしても類型化した外見について語ることだってあるし、そういう話を、すでに友人関係で信頼関係も築けている男性、あるいは女性とすることを楽しく感じるような感性の持ち主だ。ただ、「エンジニアとしてではなく女性として扱われがちで、なおかつ周りが男性だらけ」というとても特殊な状況でそういう話がある種公的になされる、というのは、すごく排他的なメッセージになってしまうのではないかなあ、という話をしているのだ(もちろん、どんな場であろうと「別に排他的じゃないと思うけど」という意見もあるだろうけど)。

件の発表について、技術的にはすごく興味深い話だったし、もちろんその技術的な面白さは一切毀損されるものではない。「エンジニアとしてではなく女性として扱われがちで、なおかつ周りが男性だらけ」という特殊な状況が前提になければ、「これは面白い話だね!」で済む話だとぼくは思う(これまた、そう思わないひともいるだろうけれど)。だからこそ、この特殊な状況が変化してほしい、とぼくは思っている。自由に、のびのびと、技術を語りたいからこそ、エンジニア・コミュニティには女性が「ここでは男女関係なく"エンジニア"として扱わるんだ」と思えるジェンダーバランスであってほしい。そのためにも、ぼくたち「マジョリティ」がどういうメッセージを発するかということは、とても重要なことだと、ぼくは思っています(という、メッセージです)。エンジニア・コミュニティがオープンであってほしい、ぼくはそう考えています。

追記