たまにはデモについて書くか

鳩山元首相がデモに参加したと聞いて、力が抜けたのでちょっとそのあたりの話書く。

ぼくは古今東西あらゆるデモに関して、主張そのものの善し悪しに関わらず、デモという行為そのものはまあ良いじゃん、と思っている。というのも、とりあえず日本に話を限定して話を進めると、ぼくたちは議会制民主主義の世界に生きているわけだけれど、べつに意見を政治に反映させる手段が、選挙期間に限定される必要はないんじゃないの、と思っている。もちろん最も重い行為は投票なわけだけれど、選挙期間以外にデモやらなんやらで「俺はこれがおかしいと思うぜ!」って声をあげることで、次回の選挙でその「おかしいと思うぜ!」と言われている部分に対して「どうするつもりだ」ってのを掲げてくる候補者が出てくるみたいなのだってあると思うし、選挙のとき以外に意見を反映させられる仕組みっていうのは、まあたくさんあればそれだけ「国民に主権がある」って言えるんじゃないの、くらいに思っている。

もちろん、デモが主張している内容そのもの自体がおかしければ「おいおいそれはおかしいぜ」って言えばいいし、「アホか」と思えば「アホか」と言えばよろしい。ただ、「デモなんてやるやつらはクソだぜ、デモする暇があったら自分の周りを自分で変えろ〜」みたいな話は、ぼくらが持ってる主権を代表者に仮託するための1手段をむざむざ捨ててるみたいなアレで、「えーっそれどうなん? 奴隷? むしろそっちの方が無責任じゃね?」とぼくは思う、という話だ。デモは、適切に運用されれば主権を代表者に仮託する手段のうちのひとつとして有効なんじゃないですかね。

ちょう余談だけど、だから「放射脳」(ぼく自身はこの言葉は嫌いだ。「怖い!」っていう気持ちに支配されちゃってるひとに必要なのは「ばっかじゃねえの?」という言葉ではなくて適切なフォローだと思う。フォローをはねのけてしまう人に対してはどうすればいいんだろうねぇ、というのは悩みどころだけれど)みたいなこと言ってるひとたちは、「きちんと脱原発するのに邪魔だから変な主張の反原発デモやめろデモ」みたいなのもやったらすごいおもしろいんじゃないかな〜って思う。プラカードには「脱原発のための試算」とかが書いてあったり、「脱原発したいなら無茶言って信頼なくすのやめろ!」とか書いてあるの。ぼくは「面白い!」って思うけど、駄目かな…。

話を戻して、くだんの鳩山元首相がデモに参加した話なんだけど、これに関してはなんというか「アホか」って思うんですよね。ぼくはデモというのは主権者が代表者に主権を仮託するために行うひとつの行為だと思ってるんだけど、鳩山元首相は、主権を仮託「された」側でしょ。あんたはレペゼン国民ILLな代表者じゃないのですか。主権を仮託された人間が主権を仮託するって、それ「私には、まかされた主権を適切に運用する能力がありません」と自白してるようなもんですよ。

と思って、「あ、あほかい…」ってなったのでした。