絶対音感を説明する表現に対する提案

絶対音感を持っているひとには、すべての音が音名で聞こえる」という表現がよくなされるが、これはかなり誤解をうむ表現だと思う。

たとえばホワイトノイズはその定義上音高を持たない(基音を持つのであればそれはホワイトノイズではない)。これ極端な例だが、音高を決めることとなる「基音」を特定するのが難しい(聴感上むずかしい、という話ではなく、スペアナにかけても判断がつきにくい、ということ)音はこの世に無数にある。

「すべての音が音名できこえる」と言ってしまうと、そういう音も音名で聞こえると思われてしまい「絶対音感ハラスメント」(ハンドクラップをして「これなんの音?」と聞いたりするやつ)が生まれたりするのだと思う。

「すべての音が」という部分のほかに、音名に「聞こえる」という表現もまた、誤解を招きやすいと思う。

「どーはどーなつーのどー」と歌った時、最後の音の音高「ミ」なわけだけど、この、「音高がミでありことばとしてはドと発音されているぶぶん」は、耳にはちゃんと「ドと発音している声」として、つまり歌詞通りに聞こえている。その上で「音高はミだな」と同時に判別している、という状態にある。つまり耳に「聞こえている」のは言葉や歌詞なわけで、「音名で聞こえる」という表現も誤解をうみやすいと思う。

そんなわけで、絶対音感とはなにかを正確に表現するならば、「基音が判別できる、つまり、音高が判別できる音ならば、基準となる別の音高を示されなくても音名を判別できる」あたりになるけれど、これだとさすがにわかりにくい。というわけで、正確さを犠牲にした表現だが、誤解を生みにくい言い方として「音の高さがちゃんとある音ならそのドレミがわかる」という言い方を提案したいが、どうか。

なお、一部の人間において、ほんとうにこの世のすべての音が音名で聞こえるということを主張するひとがたまにいるので、そういうひとにはホワイトノイズを聴かせて「これの音名は?」と言ってやり、正解が出るまで(正解なんてないんだけど)出られない部屋に閉じ込めてやりたい、といういじわるな気持ちがないわけではないこともここに告白しておきます。