心理的安全性を獲得しにくい個人(は|を)どうすればいいんだろう

心理的安全性ということばはだいぶ浸透してきて、とくに説明なくみんなに通じるような感じになってきているけれど、まあなかなかに難しいものだなあと思う。

組織やチームのまとめ役となる側からすると、心理的安全性が確保できるチームをどのように作っていくか、という点に注目があつまりがちなんだけど、個々人が心理的安全性を獲得するときにも、それぞれの性格によって難易度に差があるよね、ということについて書きたい。言葉を変えると、多くのひとが問題なく心理的安全性を獲得できるような状況やチームであっても、自己肯定感を適切に持つことが難しいようなタイプのひとは、なかなか心理的安全性を獲得できないという問題(問題、というと語弊があるかもしれないけど、problemというよりもissueという意味での問題)があるんじゃないか、というような話だ。

自分にそういうところがあるからこの話をするのだけれど、わたしは「他人が自分をどう評価するのか」「他人が嫌な気持ちになっていないか」ということを過剰に気にする傾向がある。たちがわるいのが、あくまでそれは自己完結した自分の感情であり、この気持が外に向かってコミュニケーションを改善する方向に向かず、自分の中でぐるぐる回って自家中毒を起こすような方向に向かってしまうところだ。

他人は他人であり、それを理解することはそもそもできない。できないからこそ、わたしたちは言葉その他様々な方法で相手にメッセージを送り、それを受け取り、その繰り返しで信頼関係を築いていくわけだ。けど、「他人が自分をどう評価するのか」「他人が嫌な気持ちになっていないか」を過剰に気にしてしまい、しかもその気持ちを適切に外に向けることができないと、「明らかにこれは無限に友好的なメッセージである」と判断できないメッセージを受け取ったとき(つまり大抵の場合)に、「なにかわたしが相手の機嫌を損ねるようなことをしてしまったのだろうか」と不安になり、萎縮しはじめる。結果として、こちらからきちんとメッセージを発信することができなくなり、コミュニケーション不全に陥る。

さらに悪いことに、普段そうやってビクビクしているからこそ、逆に「このひとはわたしにとって安全だ」となってしまうと、そこに甘えて雑なコミュニケーションを行ったり「言わなくてもわかってもらえるよね」みたいな感じになってしまう(そうして、結果としてせっかく良い関係を築けていたところを自分からぶちこわしてしまう)。こっちの問題については最近思うところがあって、ちゃんと努力して実際改善しつつあるとは思っている(まだがんばっている途中)んだけど。

で、本題に戻ると、こういうタイプのひとは、上述のような流れで、自分にとって「判断不能」なメッセージをひとつ受け取ると、その解釈不能性が自家中毒を起こしはじめる。そして、たったひとつの、ほかの人からしてみたらなんてことないメッセージだけで、おおいに心理的安全性が脅かされるということになりがちだと思う。自分がそういうタイプであるとき、あるいはメンバーがそういう問題を抱えているときに、どうやったらこれを改善あるいはサポートし、健全なコミュニケーションを取り戻すことができるのか、ということを最近よく考える。

とはいえ、まず自分の問題を解決しないことには他人の問題を解決することはできないわけで、まずは自分のこの問題とどのように付き合っていくのかについて、なんとかしないといけないよなあと思っているのであった。自分の問題を確認するために言語化したかっただけで、結論はまだない。