自責か他責かというフレームはいっそ有害なのではという話

よく「ビジネス〜〜」みたいな話の中で「他責思考をやめて自責思考になるべし」みたいな話がなされると思う。

これって「あいつのせいでXXできない」っていう考え方をやめえや、って話だと思うんだけど、その対義語?として「自責思考」ということが言われているんだと思う。ただ、ぼくはこの「他責が自責か」という考え方自体は悪い副作用が大きいんじゃないかなあとは思うんですよね。他責思考に陥ってしまっている状況ってのは「自分ひとりで物事が動かせない」という状況があるからこそそういう思考に陥ると思っていて、そのときに「自分でできることを」みたいなこと言われてもどうしようもないことが多いどころか、結局「あいつらVS自分たち」という構図を強化してしまうまであるのではないか、と思う。

むしろ必要なのはどうやって「他責VS自責」という構図を「問題VSわたしたち」にリフレームするかということだと思っていて、まず問題に向き合う、あるいは適切な問いを立てる。そこに頭をつかって、問いが立ったあとに「その問いをわれわれで解決するためにはだれに何を担ってもらう必要があって自分はどこを担うべきなんだっけ」って話ができるようになるし、そうすることで初めて「自分一人では動かせないくらいにでかい物事」を動かせるようになるんではないかな、と思うんですよね。で、そういうリフレームこそが「他責ではなく自責で動け」とか言いたい「上の人」の役割のひとつなんじゃねーかな、と「徹底した自責思考を〜〜」とか聞くたびに思う、という話でした。

いつのまにかVPoTになって1年以上経ってた

軽く振り返りたい。

去年の10月からVPoTになって、ずっと手探りでやってきていつのまにか1年以上経ってた。

正直言って、始めてから半年くらいは「何を期待されていて、自分ができることが何で、それをどう進めるべきか」が全然わからなくて、自分が何をすべきかということを探る期間だったし、ちゃんと機能できていなかったと思う。具体的に何をやっていたか、と言われてちゃんと応えられる成果がない。まあ、半年くらいそんな感じで右往左往しながら、今までと違う立場で社内を観察していたのはまるっきり無駄とは言えず、今の仕事につながってはいるかな、とは思う。けど正直機能できてなくてすまんかった、とも思っている。

では今何をやっているかと言うと、課題を抱えた現場に対してアドバイザリーとして入っていって改善おじさんをやったり、そういう現場レベルのことよりもでかい粒度で「全社レベルでの仕事の構造を変える」ことに注力している。

春くらいまでは課題に対してみんなの仕事の構造がたいへんにうまく噛み合ってて、よい成果をあげられていた。象徴的なのは、去年と比べて圧倒的にシステムが安定稼働していることだと思う。一方、最近はとくべき課題が変化した結果、うまく仕事の構造が噛み合ってない状態ができつつあって、みんながすごく頑張ってくれても全体最適にならずにうまく成果に繋げることがむずかしい状態になってしまいつつある。

「全社レベルでの仕事の構造を変える」というのは、そんな状況に対して「解くべき課題がいまはこう変わったよね。だから仕事の構造をこういうふうに変えていかない?」というのを言語化し、いろんな組織長にぶつけにいって、組織長を巻き込んで、今までと異なる取り組みをやってみたり組織構造を課題にフィットするようにリファインさせていったりするような仕事。また、その構造が実効するために自分がやるべき細々としたこと(自分がキーマンへのフィードバックをしていく立て付けを作ったり)や技術的な状況の方向出し(こういう構造で仕事するためには技術的にここが足りてないので、いついつまでにこういう状態に持っていってくれない?)もやっているという感じ。一応成果物もいくつかできてきてて、開発者だけではなくビジネスをハンドルしてるひとたちからも「助かる」と言う声をいただけていて、ようやく自分の仕事が回り始めたかな、とちょっとホッとしている。1年たってようやく「自分がこの会社でVPoTとしてやるべきことってこういうところなんだな」というのが明確に見えてきた。最近はようやく「VPoTの入口に立てたかな」という感じがある。

こういうふうに入口に立てたのは、マーケ領域、プロダクト領域でVPの動きをしていくれている同僚の仕事を観察させてもらえたことも大きい。それ以上に自分としてはそーだいさん( id:Soudai )との定期的な1on1とlacolaco言語化支援サービスにかなり助けられたなあと思う。そーだいさんの1on1は、自分が見えていないところに対して「しんぺいさんの役割だったら本来ここ見ないといけないけど、ここ見えてないよ」という感じのFBをたくさんもらえて、視野を育ててもらっている。lacolaco言語化支援サービスは、自分の抱えている不安や困りごとをより明確に深く掘り下げる超高級壁、という感じで、「なんとなく不安」みたいなタネを「ネクストアクションで制御可能な課題」にまで分解するためにめちゃめちゃ役にやっている。

あと、正直いま採用育成やピープルマネジメントは自分は全く手をつけてないんだけど、そこを担ってくれる本部長、部長がいて、安心してそこを手放せていることも自分の仕事に集中できている理由のひとつだ。

VPoTを引き受けるときに、「孤独に辛くなってVPoTの役割を果たせなくなっていくことが怖いけど、ここでなら、サポートしてくれるひとたちがいるし、孤独に死んでいくことにはならないのではないか」と思ってエイヤで引き受けたんだけど、その通りの1年間だったなと思う。改めて、周りのひとに感謝の気持ちが湧いてきたし、恩返しできるようにきちんと「会社にいるみんなが頑張ったぶんだけちゃんとプロダクトが改善されて、マーケットに受け入れられて、子供たちが学ぶ楽しみや学び方を覚えて、子供たちひとりひとりの人生が豊かになる」という仕組みを作っていきたい。あと非課税5億円ほしい。

映画:フィッシュマンズ観てきた

fishmans-movie.com

フィッシュマンズを最初に聴いたのは多分高校生の頃だったと思う。記憶はあまりたしかではないのだけれど、「Oh! Mountain」という、ライブ音源に編集を加えた一風変わったアルバムが多分ぼくのファーストコンタクトだったと思う。正直最初の印象は「なんだかよくわからない」という印象だった。けれど、なぜか「わからないけど心地よい」という状態に入り込んで、毎日、なんとなく聴いていた記憶がある。そうしているうちに、いつのまにかフィッシュマンズを好きになっていて、スタジオアルバムを収集し始めたという感じだったはずだ。ぼくが高校生だったのは1999年4月から2002年3月まで(のはず……)だから、ぼくはリアルタイムにギリギリ間に合ってない。リスナーとしては結構ぬるいリスナーだと思う。フィッシュマンズにめちゃめちゃに傾倒したということもないし。だけど、高校で出会ってからいままでずっと、フィッシュマンズを聴かなくなった時期はなかったし、自分のやる音楽には無意識に色濃くフィッシュマンズの影響がある、と自覚している。

どんなところが好きでフィッシュマンズを聴いてきているんだろう、と考えると、自分は「佐藤伸治のカリスマ」みたいなところにひっかかって聴いていたという感じではなかった。ちょっとでも演奏がズレたらまったく違うノリになってしまいそうな、リズム隊のタイトさに支えられた独特のグルーヴや、その上にのっかる意外と攻撃的なサウンドのギター、キーボード、それらが渾然一体となるとなぜかちょっとメランコリックな浮遊感が生まれる。そういうサウンドが好きで聴いてきたリスナーだった。リアルタイムが少しずれていることも重なって、「佐藤伸治の物語」みたいなものはあまり知らなかったしそこに惹かれているという感じではなかった。今回の映画が「佐藤伸治をめぐる壮大な振り返り」という感じの映画だったので、この映画で初めて自分の意識が「佐藤伸治というカリスマ」「佐藤伸治という物語」にアクティブに向けられたという感じだ。

そして、佐藤伸治というパーソナリティにはそこまで興味を持っていなかった自分が、佐藤伸治大振り返り会という趣のあるこの映画に触れて何を思ったかというと、「なるほどたしかにこれは強烈な個性だったんだなあ」という身も蓋もない感じの感想を得た。そして、改めて、自分は佐藤伸治という個人ではなくて、バンドとしてのフィッシュマンズが好きだったんだということが逆説的によくわかった。というのも、自分が一番聴き込んでいるスタジオアルバムは多分『ORANGE』か『空中キャンプ』で、次点で『KING MASTER GEORGE』かな、といったところなのだけれど、映画を観た感じだと、これらのアルバムの頃がもっとも「バンドとして」作品を作っている感じがあったのだなというのがよく伝わってきたからだ。『宇宙、日本、世田谷』もたしかに文句なしに名盤だし、『WALKING IN THE RHYTHM』とか大好きすぎるんだけど、アルバムを通して、という話で言うとどうしても『ORANGE』や『空中キャンプ』聴いちゃうんだよな。

というわけで、『映画:フィッシュマンズ』。ぼくにとっては、佐藤伸治というカリスマを歴史として知ることができて、その結果「フィッシュマンのバンドとしてのサウンドが好き」という聴き方以外の聴き方を教えてくれるような映画だったかなと思う。自分の好みの問題としては、今後もやっぱりフィッシュマンズサウンドが好きで聴き続けるんだろうけど、好きなバンドの楽しみ方が増えるのは純粋に嬉しいことだと思う。

最近のベースの練習で向き合っているリズムのオカルトを解き明かしたい

最近、ベースの練習はフィジカル(指が正確に動く)の練習もだけど、それ以上にリズムに向き合う練習をしている。

リズムに関しては、「XXなイメージでリズムを感じるとノリが変わる」みたいな禅問答めいたことを言うひとが非常に多く、そこに対してエンジニアである自分はかねてより不満があった。というのも、音楽を受け取る受け手にとってリズムを成立させるのは奏者のメンタルではなく、発声のタイミングと音高、音量の変化であるはずだからだ。

当然、奏者のメンタルやイメージは奏者の体の動きに影響を与える。なので、「XXなイメージでリズムを感じるとノリが変わる」は一定の正しさがあるだろう。しかし、そこには「イメージが変わる => 発生タイミングや音高、音量が変わる => ノリが変わる」という機序があるはずで、「発声タイミングや音高、音量」をブラックボックスのままにしておくのはとても気持ち悪い。語られるべきは「どのような発声タイミング、音高、音量になるとどのようにノリが変わるか」「そのような発声タイミングや音高、音量を出すためにはどのようなイメージを持つと演奏しやすいか」であるはずで、極端にいえば「そのノリの変化を打ち込みで再現できないのであればそれはオカルトである」と言ってしまってもいいと私は思っている。

で、だ。

よく言われる都市伝説に、「日本人のノリは1,3拍に重心があり、黒人音楽のノリには2,4拍に重心がある」という都市伝説がある。しかし、これについて私の問題意識で読み解いてみると、「重心」ってなんだ? 音高、音量、発声タイミングの言葉で「重心」を説明できなかったらそれはオカルトでは? という話になるわけだ。ベースの練習をする際に、オカルトに飲み込まれてはいけない。そう思い、「重心とは単にアクセントのこと(つまり、2,4拍の音量がでかいということ)である」という仮説を立ててみた。

さらに、James Brownのファンクの秘密として「the ONE」という概念がよく挙げられる。これもよく「一拍目に重心(出た!重心!)を置く」というように言われている(要出典)が、これ、「バックビートに重心を置く」と矛盾してません? という話がある。ここについては、「日本人ノリが1,3拍にアクセントがあるのに対して、黒人音楽ノリは2,4拍にアクセントがある」というのを補助線にすると、「普通は2,4拍だけがアクセントなのだが、1拍目 にも アクセントを置く」ということなのでは? という仮説を立ててみた。

で、これらを検証してみるために、ベースとドラム、完全打ち込み、まったく同じタイミング、音量だけを変え、それぞれ「1,3拍にアクセントがある」「2,4拍にアクセントがある」「1,2,4にアクセントがある(2より4のほうが強い)」という三つのパターンを作ってみた。

soundcloud.com

どうだろうか。かなり「ノリ」が違うと感じられるのではないか。「重心」とか「イメージ」という言葉に包まれ、機序がブラックボックスとして語られがちな「ノリの違い」、実はたんに「どこの音量を上げるか」という話だったのでは? という仮説には一定の説得力があると私は感じた。

ので、「単に1,3にアクセント」「単に2,4にアクセント」「単に1,2,4にアクセント」で実際にベースを弾いてみたのがこちらだ。

soundcloud.com

なんだか打ち込みのときよりもノリ変化が大きい気がする……。おそらく音価や、ドラムに対して前にずれるのか後ろにズレるのかあたりが影響しているのではないかと思うのだけれど、これの機序を解き明かさないことには再現性が望めないので、この機序についてはもう少し研究を重ねてみようと思う。

まとめ

「1,3に重心があるイメージで」とか「2,4に重心があるイメージで」みたいな話は、midi打ち込みを使った実験の結果、単にアクセントをどこに置くのかというふうに読み替えたほうが良さそうだととりあえず結論付けた。the ONEとバックビートの関係についても、「1,2,4にアクセント」がthe ONEの正体だととりあえず結論付けた。音価や前ズレうしろズレがどのようなノリの変化をもたらすのかについてはさらなる探究をしてみようと思う。今後もリズムのオカルトを解き明かしていきたい。

シン・エヴァンゲリオン劇場版:|| 観た

ひとによってネタバレの範囲は異なるし、いつまでネタバレを回避すべきかもというのも明確なラインはないように思うし、情報は受け手がフィルターすべきだと思っているので、受け手がフィルターできるように最初に書いておくけど、直接的なネタバレらしいネタバレは書いてないつもりではあるけど人によってはネタバレだと感じる内容かもしれないので、ネタバレ嫌な人は読まない方がいい文章かもしれません。

それでも構わないひとだけこの先をどうぞ。

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年末年始休みでメトロノーム作った

年末年始なので、ふだんなかなかまとまった時間が取れずできないことをやろうと思い、メトロノームアプリケーションを作った。

世の中にはメトロノームアプリは掃いて捨てるほどあるのだけれど、十六分音符や三連符、あるいは六連符でクリックをならせて、しかも任意の場所にアクセントをおける(ポポピポ ポポピポ、だとか、ポポピ ポポピだとか、ポッポピッポ ポッポピッポだとか)メトロノームアプリが見当たらなかった。

こういうことをやりたい場合はメトロノームではなくてリズムマシンアプリとかそういうやつを使わないといけなくて、で、リズムマシンだとこんどは無機質なクリックの音がなかったりする。

こういうメトロノームをバンドのリハでつかいたいんだけどな〜、というのが長年の課題で、なければ作ればいいというわけで作ってみた。

https://groove-partner.netlify.app/

Angular製。技術的に尖ったことはなにもしてないけど、自分にとって新しいことはいくつかあって

  • GithubActionsに触れた
    • 普通のCIという感じだった
    • GITHUB_TOKENがなにもしなくてもセットされててらくちん
    • stepの定義の際、runだけじゃなくてusesが使えるのがなかなか面白い
    • actionをコミュニティがどんどん公開できるあたりもGithubっぽいくておもしろい
  • こういう小さいアプリならば、ディレクトリ構成は凝らずにpresentationdomain(このdomainというのはDDDの文脈でいうドメインレイヤーではなくて、PDSの文脈で言うところのdomainである)で十分ではないかという仮説をたててそうしてみた
    • 結果として成功だったと思う、これくらいのサイズのアプリケーションに対して、無駄に複雑なレイヤーを作る必要はない。十分に見通しがいいし、開発もしやすかった。
  • 同様の理由で、ngrxも利用していない
    • ぶっちゃけ、状態に対するCommandとQueryを意識して、なおかつデータフローを単方向にできる人間だけで開発するぶんにはngrxは必要ないと思っている。が、人間はミスするものだし、そもそも人間が頑張って制約を守るよりも仕組みで制約をつけてしまったほうがいいので、問題のサイズが大きい場合や、チーム開発をする場合にはあったほうがいいという立場です。
  • WebAudioAPIを利用していて、なおかつ音声ファイルを読み込むのではなくて、自分で矩形波を書き込んでいる
    • 矩形波なんて誰にでも作れるんだけど、ファイル読み込みしないぶんシュッと立ち上がるのが気に入っている。スタジオって電波わるかったりするしね
  • 以前ドラムシーケンサーを作ったとき、その目的がDDD-like レイヤードアーキテクチャ(これは一般的な語彙ではない。詳しくは GitHub - Shinpeim/NekogataDrumSequencer を参照のこと)の解説がメインだったため、なるべく他の要素を減らそうとRxJSを利用せずに書いたのだけれど、今回はべつになんの解説のためでもなくて単に自分が欲しいものを作るだけなのでRxJSを普通に利用している(Angularだしね)。RxJSはぜったいあったほうが便利だよね。

妥協してしまった点として

  • UI
    • UIなんもわからん
  • スリープすると音が消える
    • これスマートフォンで再生するばあい致命的なんだけど、まあスタジオにいるときはスマートフォンを給電できるし、スタジオにいる間だけ自動スリープoffにすりゃええやろ、と思ってそのままにしてある。
  • マナーモードだと音が鳴らん
    • これどうすればいいんかな? WebAudioの限界?

以上です。労働ではあまり開発をしなくなってしまったので、久々に開発ができてよかった。

自分で使うために作ったのもなので、リハスタで実際に使ってみながら地味に改善を続けて行けたらいいなと思っている。

2020年音楽活動まとめ

年の瀬なので、毎年恒例の音楽活動まとめをしようと思う。

例年はその年に作ったり関わったりした音源をバーっと紹介していたんだけど、今年は数が多すぎるので印象に残っているものやことをまとめていきたいと思う。

ひとさまの楽曲の編曲、レコーディング、ミックスをやりはじめた

去年もちょいちょいやってたんだけど、今年は本格的にやりはじめた。きっかけは去年の夏にやったバンドのレコーディングで、そのときに

  • 自分のミックスのやり方は大きく間違えているというわけではない
  • 一方でプロの技術とは練度が違いすぎる

というふたつのことがわかった。これがきっかけで「もっと音源制作(楽曲制作ではなく、「音源」の制作)のレベルを上げたい」という気持ちに火がついた。

練度を上がるためにはとにかく試行回数を増やす必要があるが、自分の作った楽曲だけミックスしているだけでは、スループットが「自分で作れる楽曲の数」に律速されることになり、試行回数を稼げない。とくに自分は作詞が苦手なので、そこが一番のボトルネックになっていた。そのため、今年は以下のふたつを新しい活動として始めた。

  • 自分がいろんなひとに曲を書いて、詞はひとにまかせちゃう。それをレコーディング、編曲、ミックスする。
  • 弾き語りミュージシャンを主な対象に、編曲、レコーディング、ミックスを低価格で請ける
    • ありがたいことにリピーターも少しずつ増えている。価格に対して満足してもらえる程度の出来であるということだろう。嬉しい。なお購入した機材やプラギンなどのことを考えると、この活動は赤字です(が、足しになっているので実質勝利である)

バンド活動が充実

メインでやってる「TRIO the CMYK」というバンド(名前が覚えにくいしググラビリティが低い)で、1枚のEPと1枚のシングルをSpotifyなどで配信した。そのうちシングルの方はセルフレコーディングに挑戦したし、EPのほうはSpotifyの公式プレイリストに選出された。

ルフレコーディング

「2DK」という作品をセルフレコーディングした。

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自分がベーシックトラックをDAWで作って、鍵盤とギターは各自宅録したファイルを送付してもらい、ドラムは最後にスタジオで生録。ミックス、マスタリングも自分が行った。これはめちゃめちゃ勉強になった。

  • ドラムの録音はスタジオ依存がすごいので、ちゃんとそういうスタジオでやらないとミックス時に死ぬ
    • とくに部屋鳴りはどんだけマイキング工夫したところでスタジオの部屋鳴りがやばければどうしようもない
    • 一方でそういうやべえ録音状態を外科手術でなんとかするテクも覚えられたのでこれはこれでよかった
    • 次回セルフレコーディングするならドラムはちゃんと録れる環境を用意することにした。
  • ボーカルに関しても音の入り口がまじで重要。録れ音がカサカサしてたらもうそっから先はディジタルではどうしようもない。これはアナログ機材にこだわる必要がある部分だと思った。
  • 一方ギター、鍵盤、ベースに関してはDAW上の処理でも結構なところまで詰められる。80点までは行けそう。90点目指すならここもアナログ機材にこだわる必要はありそう。
  • ドラムを最後に録ったのはスケジュールの都合だけど、ドラムは全ての要なのでやっぱり最初に録るべきだな〜〜〜〜〜と当たり前のことに気づいた

ルフレコーディングにもかかわらず、この作品もディストリビューターの公式プレイリストに載ったので、セルフレコーディングでも一定のクオリティは満たせている(出してもディストリビューター公式プレイリストに乗らないのもけっこうあるからね)というのは自信に繋がった。

EPのリリース

「太陽と暮らすシトラス」というEPを作った。

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これはバンドにとって2枚目のスタジオ作EPとなる。前作での反省を活かして

  • リハスタで練習しているときから、実際のレコーディングとおなじクリック(16分音符で「ココカコ」など)を鳴らして練習する
  • アンプじゃなくてラインでしっかり音を作っておく

あたりに注力して準備をしていったおかげで、かなりスムーズにレコーディングも進めることができたし、実際に前作に比べてかなり意図通りの良い作品になったと思っている。その結果として表題曲の「太陽と暮らすシトラス」がSpotify公式プレイリストに選出され、5,000人以上、10,000回以上の再生、原宿の商業施設でBGMとして流れるなどのいい思いをさせてもらえた。今年一番のいい思い出である。

味をしめて、それ以降配信に出すものはバンドのものに限らず必ずSpotifyの公式プレイリスト入りを狙ったリリースをしているのだけれど、まあとにかく全然入らないですね。Spotify公式プレイリスト入りの壁は厚い。曲の問題もあるとは思うんだけど、やっぱりミックスとマスタリングに関して、自分でもわかるくらいに専業プロの仕事と自分の仕事に差があることもたしかなので、ここを埋めるべく努力したい。

なお、Spotify公式プレイリストに入ってたくさん再生していただけたところで売り上げはリハスタ代2回ぶん程度のものであった。Spotify上での再生数は公開されているので、専業プロの作品を見ては「この作品、Spotifyでの売り上げはn円くらいか……」ということを考えるようになってしまった。われわれTRIO the CMYKは全員、音楽以外の本業の仕事を持っているバンドなので、趣味としてやっていくぶんには十分にありがたい話というか、聴いていただけるというだけでうれしいだけど、専業プロはほんとうに大変だと思う。みんな、応援しているミュージシャンにはじゃぶじゃぶ金を落として、ミュージシャンがビジネスじゃなくて音楽に集中できる環境を守っていこうな。

ユニット活動も充実

音楽仲間のつるえさんといっしょにやっている「錦玉もなか」の活動も、結構充実していたと思う。tmrr recordsから、Spotifyなどに3枚のシングルを配信した。

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「雨にブランケット」という楽曲は自分としてはかなり気に入っているのだけれど、このリリースをしたときにはまだまだミックスのレベルが低くて、「今だったらもっと」という気持ちになる。けどつるえさんの歌が本当に素晴らしくて、自分のやりたい音楽をこうやって一緒に、しかも自分にできないこと(歌のことです)をやってくれるひとがいるというのは本当にありがたいことだなあと思う。

来年の展望

来年は自分の編曲・ミックス・マスタリングでSpotify公式プレイリスト入りを目標としたい。あとは感染症の様子次第だけど、やっぱりバンドでライブがやりたいな。まあこれは人事を尽くして天命を待つしかない類の話なので言っても詮ないことではあるのですが。来年も音楽を楽しむ人生を続けたいと思う。