ぜんぜん関係ないんだけども、golangやEitherが脚光を浴びているいまこそ、検査例外を再評価すべきではと前から思っているが識者のみなさんの意見はいかがですか?
— しんぺい a.k.a. 猫型蓄音機 (@shinpei0213) August 10, 2018
非検査例外はpanicで検査例外はerrだよ(強いひとに怒られそう)
— しんぺい a.k.a. 猫型蓄音機 (@shinpei0213) August 10, 2018
ぜんぜん関係ないんだけども、golangやEitherが脚光を浴びているいまこそ、検査例外を再評価すべきではと前から思っているが識者のみなさんの意見はいかがですか?
— しんぺい a.k.a. 猫型蓄音機 (@shinpei0213) August 10, 2018
非検査例外はpanicで検査例外はerrだよ(強いひとに怒られそう)
— しんぺい a.k.a. 猫型蓄音機 (@shinpei0213) August 10, 2018
今月からClassi株式会社で働いています。まだ試用期間なのですが、所属を明かして良いと許可をもらったので入社エントリ書きます。
前職を退職しようと決意してから(ここにはかなりの葛藤があったのですがそれはまた別の話)、転職エージェントにお世話になりつつさまざまな会社を訪問させていただきました。
わたしが転職に際して重視したのは以下の三点でした。
幸運かつ大変ありがたいことに、これらの条件を満たしてくれるような多くの会社からお声掛けをいただけたのですが、Classiに入社することを決めた決め手は以下の2点でした。
わたしは教育に関してはけっこう強い思いを持っていて、そのあたりの話は過去のエントリにも書いているので繰り返しません。
Living in Peaceの「チャンスメーカー奨学金」の支援者になった - 猫型の蓄音機は 1 分間に 45 回にゃあと鳴く
子供にとって一番長い時間を過ごす場所である学校を対象として、そこで起こっている問題に取り組んでいるClassiは、数あるEduTechの中でも、困難でなおかつとても意味のある仕事をしていると感じたのが入社を決めた一つ目の理由です。
二つ目の理由である、メンバーのことが好きになったというのは、ちょっと書くの恥ずかしいですね。転職活動中、たくさんの会社にお伺いしたのですが、その中でもClassiには何度も面談に来ていて、面談するメンバーが違っても、毎回一貫して「相手も自分も尊重する」という姿勢を感じました。
一例を挙げると、最初から面談の時に自社が現在抱えている問題や「ここはもしかしたらストレスになるかもしれない」というようなことを包み隠さず誠実に伝えてくださったことや、自分たちが大切にしている価値観についてご説明いただいた上で、わたしの持つ価値観についても丁寧にヒアリングを重ねていただけたことなどがあります。けど、それ以上に「終始心地よい距離感で接してくださった」という感覚があり、これは自分たちの価値観を尊重した上で他者の価値観も尊重するからこそ出てる距離感なのだろうと思いました。
そんなわけで、入社する前から「このひとたち好き〜」ってなっちゃったっていうのがあります。とくにCTOのささたつさんとお会いしてお話しできた時に「このひとがCTOならぜったいに良い文化の会社だよな」と思えたことが大きかったです。
ソフトウェアエンジニアとしてなにを期待してもらえていて、なにをしていくのかということについては、これから結果で語っていくべきことだと思うのでここでは触れません。きちんと語れる結果を出していけるように精一杯頑張ります。
恒例のあれはこちらです。
新しく聴いてる中でグッときたのは fusq 「Polarity」とかノンブラリ「SOUND TRACK」とか。
fusqはGoogle Play Musicをdigってて見つけたやつ。最近っぽい音だなという印象がある。最近こういう方面は質のいい音楽ばっかりで、聴くのが追いつかないなあって感じがしてる。そんな中でもこれはけっこう何度も繰り返し聴いてる。
ノンブラリはなにかで偶然に耳にして、それからアルバムをiTMSで買ったのがたぶん2年くらい前?で、去年のりんご音楽祭に来てたから朝イチのライブを観た。すごい演奏うまくて、ぼく的にはスタジオ音源よりもグッと来た。で、最近新しいアルバムが配信に来たこと知って、聴いたらやっぱりよくて、これも最近よく聴いてる。
新しく買ったやつはそんな感じ。けどじつはこれ書いてる今聴いてるのは昔から聴いてるやつで、パステルズの Illumination。
パステルズはフリッパーズ・ギター経由で知ったんだけど、そんなに一生懸命聴いてるわけではない。んだけど、このアルバムはなんかずっと(もう10年以上になると思う)飽きずに聞いている。押し付けがましくなくて、スッと「そこにある」って感じでずっと聴ける不思議な作品だなと思う。これ聴いてて音楽の記事書きたくなって書いてる。
新しく友達になったわたるくん の誕生日プレゼント企画のトリビュートアルバムに参加したり、相変わらず宅録したり。自作もので最近よくできたなと思ってるのはバターと黒胡椒という曲で、ボーカルがないところが気に入ってる。じぶんの歌があまり好きじゃないから(笑)。
あとは、よくソロで歌っておきながら自分で歌ってる音源がなかった「季節」って曲も最近録音した。あえてシンプルに録ったのがいいほうに転がったかなって思って、これもけっこう自分で気に入ってる。
ソロとしての活動は、9/1に荻窪アルカフェってお店で弾き語りライブ的なやつをやるので、興味があったら是非いらしてください。お店に予約入れていただくとぼくが喜びます。
ソロだけじゃなくてバンドでも久々にライブが決まっていて、三鷹おんがくのじかんというハコで、9月23日17:00開場、17:30〜開演という感じです。友人各位にはこちらからお声掛けもしますが、友人じゃなくてもぼくの音源やバンド音源(SoundCloudのアカウント貼っておきます)に興味を持ってくださいましたから、ぜひいらしてください。オープンで明るい、怖くないイベントです。
List(1, 2) match { case Seq(xs @ _*) => println(xs) } の意味が果てしなくわからないんだけどなにこれ
という声を聴いた。たしかにScalaのパターンマッチにおいて @
の挙動はわかりにくいかもしれない。
Scalaのパターンマッチでは、@
を利用して2回変数束縛を行うことができる。
たとえば@
を使わないパターンマッチの例としては
Option(1) match { case Some(x) => x * 2 case None => 0 } // => Int =2
といったものが考えられる。今はSome
の中身をx
に束縛したが、@
を使うことで、中身をx
に束縛しつつSome
自体も別の変数に束縛する、というようなことができる
Option(1) match { case s @ Some(x) => println(s) println(x) case None => () } // Some(1) // 1
簡単にいうと、「ふつうなら一回しか変数束縛できないけど、@
を使うとチャンスが2倍!!」みたいな感じ(後述するが、これは正確な説明ではない)。
「変数束縛が2回できてお得でっせ!」というわけで、意味はないが、同じ値を複数の変数に束縛することもできる
1 match { case x @ y => x + y } // => Int = 2
また、case
節のトップレベルだけではなく、中にも(つまりパターンが期待されているところに)書ける
Option(1) match { case Some(x @ y) => x + y case None => 0 } // => Int = 2
ところで、@
によって2回変数束縛できてお得!!!とは言ったが、実はこれは正確ではない。なぜなら、@
の前にはパターンではなく変数しか置けないからである。
Pattern Matching | Scala 2.12の8.1.3、Pattern Bindersを見てほしい。
A pattern binder x@p consists of a pattern variable x and a pattern p. The type of the variable x is the static type T of the pattern p. This pattern matches any value v matched by the pattern p, provided the run-time type of v is also an instance of T, and it binds the variable name to that value.
とある通り、 x @ p
の x
は p
というパターンによって表される型の変数である。パターンではない。
なので、「2回束縛できてお得!」というのはあまり正確ではなくて、@
の前に「@
の後ろに書かれたパターン全体にマッチしたものを束縛する変数」がかけて、そのあとに細かいパターンを書ける。結果として、パターン全体にマッチしたものが束縛される変数と、パターンによって細かく束縛された変数がどちらも得られるという感じである。実際、以下のようなパターンはコンパイルエラーとなる。Some(x)
はパターンであって変数ではないからである。
Option(1) match { case Some(x) @ Some(y) => x + y case None => 0 }
というわけで、冒頭の「List(1, 2) match { case Seq(xs @ _*) => println(xs) }
」については、まず List(1, 2)
の中身に、@
の後ろのパターン_*
がマッチし、マッチした全体をxs
に束縛する、という挙動をすることになる。List(1, 2) match { case Seq(_*) => println("hoge") }
では、Listの中身が取り出せないが、List(1, 2) match { case Seq(xs @ _*) => println(xs) }
ならば中身をxs
という変数に束縛できる、というわけだ。
StoreがViewModel相当かどうかってことそれ自体はたぶんあんま本質じゃないんだけど。
これについてです。
わかる。StoreがViewModelってのはちょっとだけ違和感あって、ぼくは ViewModelが読むためのクエリ用モデルくらいに思ってるけど、どちらにせよクリーンアーキテクチャ的な考えで言う「外側」のものだよねという点ではたぶん認識一致してると思う https://t.co/IMQADHGwUb
— 猫型🐱蓄音機 (@shinpei0213) 2018年5月15日
べつにStoreが ViewModel相当なのかクエリモデル相当なのかってのはじつはどうでもよくて、あのクリーンアーキテクチャの同心円の外側に位置するものだってことがたぶんこの記事の本質。で、クリーンアーキテクチャは同心円の層の数を定義してなくて、
— 猫型🐱蓄音機 (@shinpei0213) 2018年5月15日
ある程度小さい問題なら1,2層で済んじゃっていままで「モデル」って呼ばれてたものがどっかにいっちゃったように見えるよね的な話だと思う
— 猫型🐱蓄音機 (@shinpei0213) 2018年5月15日
というか、べつにMVWにこだわる必要なくて、どこからどこまでがUI層のためのもので、UI層じゃない部分をさらにどこからどこまでがビジネスロジック(ここでいうビジネスロジックとは、どのやうなルールでシステムの状態が変更されうるのかを指します)に関わる部分で、どこからどこまでが
— 猫型🐱蓄音機 (@shinpei0213) 2018年5月15日
どこからどこまでが「状態をどういうふうに読み出したいか」に関わる部分なのかということが大事で、そこの認識が揃ってるならモデルとかビューとかどうでもええねん
— 猫型🐱蓄音機 (@shinpei0213) 2018年5月15日
最近ようやく「モデルとかビューとかビューモデルとかドメインモデルとかどうでもええねん、手法は本質ではない」という真理に一歩近づきつつあります
— 猫型🐱蓄音機 (@shinpei0213) 2018年5月15日
まあ10年間「真理に近づいた!」「違ったわ」を繰り返してんだけどね
— 猫型🐱蓄音機 (@shinpei0213) 2018年5月15日
念のため言っておくけど、「どうでもいい」ってのは「知らなくていい」って意味じゃなくて、「知った上で捨てれるのが大事」みたいな話ですね。そもそもiOSでもAndroidでもAngularでもVueでもそもそもフレームワークがMVWの概念に乗っかって作られてるんだから知らなくていいはずないという話はありますね
要らんもんと生きていくぞ
— 猫型🐱蓄音機 (@shinpei0213) 2018年4月26日
労働、曖昧さを解消する方向の圧がかかりがちで、それはそれで必要なことだし正しいと思う。けど、曖昧さを曖昧さのままに受け入れて向き合うことや、矛盾した感情やアンビバレントにそのまま向き合う筋力みたいなものを失いたくない
— 猫型🐱蓄音機 (@shinpei0213) 2018年4月26日
そういう、効率とかから考えたら完全に要らんもんこそがぼくにとっての豊かさの根本ではあるんだよな
— 猫型🐱蓄音機 (@shinpei0213) 2018年4月26日
ちょっと前にツイッターで以下のようなことを書いた。
「自分で考えて動く」みたいなのすごい大事だとぼくも思うけれど、それをするためには「どんな役割を担ってほしいか」「達成してほしいことはなにか」「どこまで自分の裁量でやっていいか」がそれぞれ明確になってないと無理だよね。逆にそこさえ揃ってれば、よほどのタコじゃない限り自分で動くと思う
これに対して、「マネージャーがそれをやらないのはマネジメントの放棄だよね」というリプライがついて、「なるほどたしかにそうだなあ」と思ったのだけれど、マネジメントの放棄と呼ぶべき状況ってのは、これの他にも、ちょっと注意して見てみるといろいろなところで目にすることがあるかもしれない。
たとえば、たまに耳にする「社会人は結果が全て」という言葉について。ここでいう「結果」というのはなんだろう。マネジメントするひととされる人の間で「あなたが達成すべき結果はこれですよ、これに向けて頑張ってください」がきちんと合意と納得の上で設定されているのであれば、いいと思う。けど、この言葉が使われる文脈は、なんだか多くの場合「いいから売上あげろや(売上を上げるためのプロセス目標などは特に設定されない)」みたいな感じの上にあるような気がする(要出典)。
もう少し別の言い方をすると、たとえば、まだひとりで案件を受注まで持っていけないひとや、プログラマであれば、ひとりでプロダクトを完成まで持っていけるスキルがないひとに対して、「結果が全てです、あなたは案件を受注してないので結果なしです」「結果が全てです。あなたはプロダクトを完成させられなかったので結果なしです」と言ってしまうのは、マネジメントの放棄と言って差し支えないだろう。
そういう人達には、たとえば、「まずは一ヶ月にn社とアポを取って面談することを目標にしましょう」だとか、「メンターとコミュニケーションを密に取って、一日ふたつプルリクがマージされるのを目標にしましょう」だとか、そういう「会社にとってプラスになる行動だし、本人にちゃんと達成できる目標」をきちんと(相談の上)設定する必要があるだろう、というような話だ。
多分、冒頭に書いた例や今書いた例に限らず、いろんなところでマネジメントの放棄や、それがあたかも格言めいた言い方で正当化されることが起こっている気がする。なんとなくそう思うってだけで確証があるわけではないのだけれど。
ひとりひとりのメンバーに対して適切なマネジメントレベルも違う(この記事でぼくがあげたようなレベルのマネジメントが不要なハイレベル人材もいますよね)から、マネージャーってけっこう大変な仕事だと思う。だから、ついつい自分の耳に甘く響く「マネジメント放棄を正当化する格言」に逃げちゃったりしがちかもしれないけど、だからこそそういう言葉にうっかり乗っかってしまわないように気をつける必要があるよな、と感じた。
蛇足を書いておくと、もちろん、マネジメントされる側が自分を律するためにそういうの使うってのはあってもいいかもしれないけど、マネジメント放棄されてるところで無理に頑張ると心が壊れるので、そういう時は無理しないでほしい。