Living in Peaceの「チャンスメーカー奨学金」の支援者になった

どこで知ったんだったか忘れたけれど、Living in PeaceというNPOがある。

www.kodomo.living-in-peace.org

詳しくはサイトを見てもらうのがいちばんいいと思うんだけど、ひとことで言うと、子どもの貧困対策をやってるところだ。そのうち寄付で支援できるのは「チャンスメーカー」ってやつと「チャンスメーカー奨学金」ってやつで、どちらも子どもの貧困対策であることは同じなんだけど、それぞれ性格がちょっと違うみたい。「チャンスメーカー」のほうは「児童福祉施設にいる間のための支援」、奨学金のほうは「施設出たあとの教育機会の格差を支援」というような性格になっているようだ。

ところで、話は変わって、わたしは、自分の今いる環境や仕事、それに使っている能力を得るために、ちゃんとそれなりのコストを自分でかけてきたという気持ちはある。大学に入ったあと、高校の友人が「しんぺいくんが受験勉強始めたあとめちゃめちゃ努力してるの見て"すごいな"って思ったよ」って言ってくれたりしたのは「あー、見てくれるひとは見てくれるんだな」って思ったし、プログラマになってからも様々なことを自覚的に、自律的に学習してきたつもりだ。その学習がなければ、いまの環境や仕事、能力は自分にはなかったと思う。

けど、一歩引いてみれば、「どうして自分がそのコストを学習にかけることができたのか」ということが見えてくる。わたしの親はわたしの教育にとてもお金と時間と手間をかけてくれて、そのおかげで、わたしは22歳で大学を卒業するまで、他の雑事にあまり気を取られることなく集中して勉強することができた。そのときの経験から「あ、学習すればわかる、できるようになるんだな」という実感も身につけることができた。

前回の記事で書いた「家庭の所得格差がそのまま学習機会の格差になってる」ってのはそういうことも含めた上でのことで、さまざまなめぐり合わせの上でたくさんの「学習の機会」を、偶然に、運良くもらった自分には、学習の機会の格差を少しでも再配分する義務があると思っている(この思いは、プログラマコミュニティから学んだ様々なことを別の形でプログラマコミュニティに還元しようとしている自分の気持ちともつながっている)。

ざっくり言うとそういう気持ちから、「チャンスメーカー奨学金」の支援をすることにした。月々1,000円から支援できるそうです(少額で継続的にできるのも良いっすよね)。「俺が(私が)学習に集中できたのはそういう環境があったからだよな」みたいなことを思うひとは(そうじゃない環境だったひともいるでしょうし、そこから努力で学習の機会を勝ち取ってきたひとのことは尊敬してます。でも、「だから誰だってできる!!」ってのは生存バイアスですので、できたらそういうことを言わないでほしいな……)、検討してみてもいいんじゃないでしょうか。

ところで、こういう話をパブリックでするのは正直なところ損しかなくて、インターネットではなにを書いても怒られが発生するし、「偽善者乙」みたいに言われてとにかく嫌な気持ちになって最悪なんだけど、「こういうのあるらしいよ」って伝えたいから書いた。けどどうせ怒られるんだろうな、知ってる。