双剣問題について

双剣問題についてはyatteiki.fmを参照してください。

双剣問題に関しては言いたいことがふたつあって、ひとつは小菅さんも言ってたけど、「別に結婚とかしたからといって楽になったり落ち着いたりするわけじゃない、むしろその分剣を振り続けなきゃならない」ってことで、ひとりだったらサボっちゃうところも、だれかと一緒に生活をする、その生活をやっていき続けるためにはサボることができなくなり、むしろ双剣を握り続けるモチベーションになるということがひとつ。

もうひとつが、双剣を振り続けてると「それが当たり前の環境」になっていって、双剣を握り続けるということが特別なことではなくなるということ。というか、特別なことじゃなくならないと双剣は握り続けられない、ということ。

たとえば、カンファレンスで発表をするということ。じつは、初めてカンファレンスで発表する日、わたしは緊張とストレスでトイレで吐いていた。そんな感じで、持ち慣れていない剣を持つためには腕力と強い気持ちが必要になる。けれど、それを続けていくと、いつの間にか周りの友人も「カンファレンスって発表して情報交換することのほうが大事っていうかそれが普通だよね」みたいな感じのひとが増えたりして、「カンファレンスで発表することなんて別に特別なことではない」みたいになっていく。というかそうじゃないと続けられない。毎回トイレで吐いてたらしんじゃうよ!

あるいは、OSSへのコントリビューション。わたし自身はこのあたりはかなり弱いんだけど、OSSにコントリビューションを続けてる人たちって「OSSで一発当てるぞ!」みたいな感じではなくて、あたりまえのことみたいに淡々とコミットを続けているように見える。

そんな感じで、双剣問題を別の視点から見ると、「双剣を持ち続けることをあたりまえのことに変えられるかどうか」というところが結構大きなポイントなのではないかと思う。そして、これはわたしの基本哲学でもあるんだけど、人生9割運と縁なので、じつはそうなれるかどうかは9割運と縁で決まると思う。残りの1割のところに、強い気持ちが必要なのかなと思う。

やっていく気持ちはとても大切なものだし尊いものだけれど、気持ちが途切れたら終わってしまう、という状況はあまりに脆弱だ。だから、強い気持ちがあるうちに、その気持ちを使って、気持ちに頼らずやっていける状況を作る、というのが双剣問題に対する1つの解決策なのかな、というのが所感です。