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眠れないからにっきかく

雑文

エヴァーのQのこと、そろそろ内容に踏み込んでもいいかなって思うのでちゃんと書く

なんかあのディスコミュニケーションの不快感をだけもってして「そうだよこの不快感がエヴァだよ」みたいなこと言ってるひとたちが結構いて、「へえ」っていうか「はあそうですか」みたいに思っている。

破までのあのエンタメ路線を捨てたなーっていうのはその通りだと思うし、旧作の路線に戻った!みたいな話、そりゃそうなのかもしれないけど、でも、「不快だからエヴァ」とか「この突き放される感じがエヴァ」みたいなこと言ってるひとたちはそんなに不快なものが観たいなら自殺サークルでも観てればいいんじゃないの。

Qではこれでもかとディスコミュニケーションが描かれていたのはその通りなんだけど、そのディスコミュニケーション、全然ひりひりしないんですよ(こういう曖昧な言い方するのよくないし好きじゃないけど適切な言葉が出てこない)。

何度も言ってるんだけどぼくにとって旧エヴァってATフィールドを巡る物語で、他人との関わりについての物語だったんですよね。それが一番出てるのがシンジくんとアスカの関係性だったと思う(だからこそ夏エヴァではあのふたりが最後に映されたのだと思っている)し、シンジくんもアスカも自分を全部受け入れてくれる他人が欲しくてたまらなかった(あんたが全部あたしのものにならないなら、何も要らない)んだけど、でも他人がなにを考えているかはわからないし、他人の中で自分がどう映っているのかわからないし、その恐怖って相手が自分ではない(ATフィールドによって隔てられている)以上絶対に消えないものなんですよね。そういう、相手を受け入れたい、相手に受け入れられたい、でも他人は怖い、っていうアンビバレンツに引き裂かれながら他人と関わって行く、そういう物語としてぼくは旧エヴァを観ていたし、それはぼくにとって今でも突き刺さる物語なんですよ。だからそういう他者の代表みたいなアスカはぼくにとって今でも特別だし、式波じゃなくて惣流のほうのアスカください、みっつ、ください、って感じだし。

旧エヴァでのディスコミュニケーションって、そういう承認や他者への恐怖を巡るディスコミュニケーションだったし、だからこそぼくには深く刺さったんだけど、Qのディスコミュニケーションって「なにがあったか説明してくれない」とか単純にそういう話じゃん。そのディスコミュニケーションによるシンジくんの戸惑いだって「なんなんだよ一体」「わけがわからないよ」みたいなもんだし。だから「いや説明してやれよwww」みたいなツッコミが出てきてるんじゃないの。旧劇でのディスコミュニケーションの問題って、「他人の気持ちを全部わかるなんてことはできない」「相手をなぐさめたりしたい、でも相手の気持ちがわからなくてなんて声をかけたらいいかわからない」「相手の気持ちがわからなくて、かえって相手を傷つけてしまう」とかそういう「どう頑張っても解決できない問題」に根ざすものだったと思うんだけど、今回のディスコミュニケーション、単純に「説明してやれよアホか」ってだけじゃん。「いやあれは説明しちゃうとシンジくんかわいそうじゃん、『お前が世界壊したんだよ』って言えってか」みたいな話かもしれないけど、そういう配慮があるならそういう配慮があるなりの伝え方ってのがあるだろ。少しずつ話していく姿勢だけでも見せれば解決する話じゃん。あと、そういう配慮があるようにも見えなかったよ。「どうしたらいいのか、わからないのよね」「保護者失格ね」みたいな逡巡ないじゃん。

破までの路線捨てて取ってつけたようにいきなりディスコミュニケーションの世界を書いてるけど、シンジくんの苦悩の一番重いところって「ぼくが世界を壊した」であって、「他人とどう関わればいいかわからない」とかじゃないじゃん。ディスコミュニケーションとシンジくんの苦悩が全くかみ合ってない、もうぜーんぜんかみ合ってないの。だったらそのディスコミュニケーション意味ないじゃん。ただ不快な感じとか不穏な感じを出すための小道具じゃんそれ。クソだよそれって。

そういう状態のものを見せられて「やったーこのディスコミュニケーションがエヴァだー^^」みたいなこと言ってるひとたちが何を喜んでるのか、よくわかんないし、そういう反応とか見てると要するにいつまでも承認とか他者に拘ってるぼくがアニメにもその視聴者にもおいて行かれただけなんだなーってなおのこと絶望するし、ぼくをおいて行ったエヴァとそれを取り巻く世界のことはもう絶対に許さない。もちろんそもそも旧エヴァが「ぼくのためにあった」みたいなのはぼくが勝手に思い込んでる思い入れだってことは理解してるし「裏切ったな!」ってのが単なる逆恨みだって理解してるけど、それでも絶対に許さない。

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